近代日本医学の父

北里柴三郎博士

破傷風菌抗毒素の発見、血清療法確立、
また、ペスト菌の発見など感染症医学の発展に貢献

  • 1892年(明治25年)

    39歳

    勲三等瑞宝章(日本)

  • 1906年(明治39年)

    53歳

    勲二等瑞宝章(日本)

  • 1909年(明治42年)

    56歳

    星章赤鷲第二等勲章(ドイツ)

  • 1910年(明治43年)

    57歳

    サン・オラフ第二等甲級勲章(ノルウェー)

  • 1914年(大正3年)

    61歳

    コマンドール・ド・ロルドル・ナシオナル・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲章(フランス)

  • 1931年(昭和6年)

    78歳

    従二位勲一等旭日大綬章(日本)

略年譜・経歴

1853年(嘉永6年)

誕生

1月29日(旧暦嘉永5年12月20日)、父惟信・母貞の長男として現在の熊本県阿蘇郡小国町に生まれる

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1853年ペリー浦賀に来航

1860年桜田門外の変

1868年明治維新

1871年(明治4年)

18歳

熊本医学校(現 熊本大学医学部)に入学、オランダ人医師マンスフェルト先生に師事し医学への道を志す

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1871年廃藩置県

1874年(明治7年)

21歳

東京医学校に入学
(1877年、東京大学医学部と改称)
1878年「医道論」発表(在学中)

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1877年西南戦争勃発

1883年(明治16年)

30歳

4月 松尾乕と結婚
4月 東京大学医学部を卒業
   内務省衛生局に奉職

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1886年(明治19年)

33歳

1月 ベルリンのローベルト・コッホに師事する(1885年11月ドイツ留学)

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1889年(明治22年)

36歳

破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功する

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1889年大日本帝国憲法発布

1890年(明治23年)

37歳

破傷風菌抗毒素(免疫体)の発見、血清療法の確立

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1892年(明治25年)

39歳

5月 ドイツから帰国
10月 芝公園内に私立伝染病研究所を設立
11月 内務省に復職

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1893年(明治26年)

40歳

9月 日本初の結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」を開設

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1894年(明治27年)

41歳

2月 伝染病研究所を芝区愛宕町2丁目13番地に移転
現在の港区西新橋3丁目

5~6月 ペストの原因調査のため香港に派遣され、ペスト菌を発見

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1894年日清戦争・勃発

1904年日露戦争・勃発

1906年(明治39年)

53歳

4月  日本連合医学会(現日本医学会)会頭を務める
11月 伝染病研究所を白金台町に移転

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1913年(大正2年)

60歳

日本結核予防協会を設立、理事長に就任
(副会頭:渋沢栄一)

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1914年(大正3年)

61歳

伝染病研究所が内務省から文部省に移管されることになり、所長を辞任
11月、土筆ヶ岡養生園の一角に私立北里研究所を設立、翌年12月開所式を行う

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1914年第一次世界大戦・勃発

1916年(大正5年)

63歳

11月 大日本医師会(医師による初の全国組織)発足、初代会長に就任

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1917年(大正6年)

64歳

4月 慶應義塾大学医学科の創設に尽力 初代科長に就任
12月 貴族院議員となる

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1923年関東大震災

1931年(昭和6年)

78歳

6月13日、脳溢血により逝去
青山斎場で葬儀、青山墓地に葬られる

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1931年満州事変

学校法人北里研究所 北里柴三郎記念室
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