
- PROJECT STORY
- PD-1の免疫抑制活性化プロジェクト
逆を行くことで、
新たな光を
MEMBERS
- K.S.
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研究開発本部
研究開発アセットマネジメント部
開発プロジェクトリーダー
2014年入社
薬学系(修士)卒
- S.M.
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研究開発本部
製薬研究所
創剤研究室二グループ
2021年入社
薬学系(修士)卒
- S.Y.
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研究開発本部
製薬研究所
品質研究室一グループ
2020年入社
理学系(修士)卒
- T.W.
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研究開発本部
非臨床開発部
安全性評価室一グループ
グループ長
2014年入社
生命科学系(修士)卒
- PROLOGUE
-
ブレーキをかけることで、
過剰な炎症を鎮められないか
PD-1は免疫細胞に発現する分子の一種であり、免疫反応が過剰にならないようにブレーキをかける働きがある。この働きに対して、がん治療ではブレーキを“外す”ことで効果を上げた。Meiji Seika ファルマが2016年から取り組むプロジェクトで着目したのは、PD-1の免疫反応で積極的にブレーキを“踏ませる”ことで、関節リウマチなどの炎症性疾患の症状を抑えることだった。まさに逆転の発想からスタートした4名の若き研究者たちの挑戦を追う。


- 01
- 基礎研究での壁は
本庶佑氏と共に
このプロジェクトの当初から携わったのが、研究開発アセットマネジメント部のK.S.だ。本庶佑氏の研究機関との共同プロジェクトという話を聞き、「未知を切り拓けるのでは」と意気込んだという。しかし、立ち上げ当初は手探り状態だった。「まずラボの立ち上げ、研究機材の導入から始める必要があり、また最先端の研究ゆえに思うようなデータもすぐには得られない。 何度も壁にぶつかりました。ですが、本庶先生から投げかけられた『必ず成功する』という言葉が支えになり、がむしゃらに進めていきました」とK.S.が話すように、先行研究を一から洗い直し、粘り強く評価系を整備することで、徐々に基礎データが蓄積されていった。開発の“芽”が見え始めたのは2018年頃。本庶佑氏がノーベル賞を受賞し、PD-1阻害薬でがん領域に成果が出る一方、炎症制御に応用するアプローチへの期待も高まり、社内の注目度が増していく。とはいえ、「本当にPD-1の免疫反応にブレーキをかけて、副作用は大丈夫か?」という不安もあった。

そこでK.S.は安全性評価部門や品質管理のチームに協力を仰ぎ、問題があれば早期に察知できる体制作りを始めた。
2020年になるとプロジェクトが正式に組織化され、安全性評価室のT.W.も本格参加する。 T.W.は「リスクは増えないか? 免疫が過剰に変化することはないか?」など、多角的に検証を進めた。その時点では大きな懸念は見つからず、むしろ「PD-1のブレーキを有効に使えそうだ」という手応えが生まれていく。このように試行錯誤を重ねながら、プロジェクトは“基盤固め”のフェーズを乗り越え、次の段階へと進んでいった。


- 02
- 海を超えた先で
発生した大きな問題
2020年に正式なプロジェクトチームが発足し、次の段階は治験薬の製造。そこに携わったのが、創剤研究室でバイオ医薬の製造や開発工程に携わるS.M.だ。「入社のタイミングで“初のバイオ新薬”と聞き、未知の領域にワクワクしました」と当時を振り返る。ところが、海外企業へ委託して進める治験薬の製造準備は一筋縄ではいかなかったという。「製造指示書の確認や関連文書のレビューだけでも膨大。さらにトラブルが起きたら即座に先方と連絡し、対応策を詰めなければいけない。時間管理が鍵でした」とS.M.は語る。彼は、パートリーダーとしてタイムブロッキングという手法を用い、スケジュールを細かく区切り、一つずつ課題を潰すアプローチを続けた。

そうして壁を乗り越え、次は治験薬を評価する段階へ。それを担当したのが、品質研究室で品質評価を担当するS.Y.。治験薬そのものの品質や不純物の有無をチェックする役割を担った。だが、試製造の原薬データに想定外の数値が出て、海外の委託先と意見が食い違う事態が発生。「現地まで足を運んで追加試験を依頼し、仮説検証を繰り返しながら原因を突き止めていくしかありませんでした」とS.Y.は振り返る。医薬品の開発は何が起こるか分からない。そんな怖さを痛感しながらも、懸命に現地企業とディスカッションを進めていった。


- 03
- 距離が近いことは、
創薬の武器になる
一方、安全性評価を担うT.W.は、新たな「薬物動態」の壁に遭遇することになる。開発抗体の決定直後に、ヒトでの薬物動態プロファイルが極めて悪いというデータが明らかとなったのだ。薬理活性が十分であっても、薬物動態が悪ければ開発は困難になる。しかし、T.W.は他部門の創薬研究者も交えながら、開発抗体の選び直しを根気強く進めた。Meiji Seika ファルマの強みの一つは、研究者同士の距離が近いこと。その関係性が力を発揮し、この壁も突破することができた。

こうして2022年を迎える頃には、ようやく「臨床試験が行える」と自信を持てる段階へと到達。K.S.がプロジェクトリーダーとなり、メンバー4人を含めた各専門分野が結束して一気に治験薬製造を加速させた。課題は次々に現れたが、そのたび連携を深め、技術的にも組織的にも進化を遂げている。そして、炎症性疾患向けの治験薬が完成し、臨床試験に向けた大詰めを迎える段階だ。このプロジェクトは、外部の最先端の研究機関と協力して研究を進めており、Meiji Seika ファルマが掲げる「ネットワーク型の創薬」を体現するものになっている。また、企業だけでなく、参加したメンバーそれぞれの成長にも大きく寄与した。


- EPILOGUE
- それぞれの想いが
未来の笑顔へ
PD-1の「ブレーキを活かす」という逆転の発想は、関節リウマチのような炎症性疾患に新たな希望をもたらすかもしれない。いよいよ臨床試験の準備が整い始め、4人の表情にも期待感が宿る。「一日でも早く患者さんのもとへ届けたい」。共通するそんな想いには、成果を自分の手で確かめたいという研究者としての情熱もあるだろう。だが、最も大きいのは、まだ見ぬ患者さんたちの未来への想いだ。試行錯誤を繰り返し、苦境を乗り越え、少しずつ前進してきたこの挑戦には、さまざまな人の想いが詰まっている。4人は今も走り続けている最中だ。未知の薬が形になる瞬間。それを信じ続ける研究者たちの奮闘は、明日を生きる患者さんの希望へとつながっていく。そして、Meiji Seika ファルマだからこそ出せるこたえの一つが、また、多くの笑顔を生み出していく。