40周年記念企画

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イノベーションとしてのオリゼメート

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 東北農業研究センター所長(農学博士)

石黒 潔

先日、オリゼメート剤の開発・販売元であるMeiji Seika ファルマ株式会社の担当の方より、本剤が上市40周年になるので、記念誌に寄稿せよとのご依頼があり、喜んでお受けすることにしました。農薬の有効成分が永く大きなシェアを保ち続けることは、より強力な後発剤の開発、耐性菌の出現・蔓延、予期せぬ問題の勃発等により容易でないと感じてきただけに、まずは、お祝いいたしたいと思います。
30周年記念誌に寄稿した時には、稲いもち病の本場である東北地方の最前線にいる自負がありました。その後、東北からも現場からも離れていましたが、昨年度からは、農研機構・東北農業研究センターに戻り、東北各県の農業生産者をはじめ、試験研究機関や多くの企業や団体の方々のお役に立てる研究を推進する立場になりました。そこで、今回は、まず、最近10年も含めてオリゼメート剤の歩んできた道を私の立場から概観します。その後で、近年喧しい、イノベーションという語をキーワードに、そのケーススタディーとしてオリゼメート剤の開発と普及の道程を捉え、今後の展望を描ければと考えています。

葉いもち専用の予防的防除薬剤として地位確立

私が稲いもち病防除の研究に参入したのは昭和59年からですが、その頃頻発していた冷害を奇貨に、オリゼメート剤の評価が高まりつつありました。しかし、当時在籍していた福島県は、青森県とならび、東北の中では本剤があまり普及していませんでした。青森県で普及があまり進まなかったのは、比較的いもち病のリスクが低かったためでしょうが、福島県で普及が滞ったのは、葉いもち防除があまり普及しておらず、穂いもち防除が重視されていたためと思います。しかし、農業試験場の仲間内では、「剤の効果を熟知した一部の生産者が上手に使っている」あるいは「果樹農家のように労力をあまり稲作に割きたくない農家に適したオプション」という評価でした。その他の東北・北陸各県で普及が一気に進んだのは、当時広く普及していた有人へリコプターによる航空散布のダイヤ編成の問題もあったのではないかと考えています。つまり、穂いもち防除のダイヤは出穂期を中心に配置することができますが、葉いもち防除のダイヤを事前に的確に設定することが難しかったこと、さらには、有人ヘリ散布自体が社会環境の変化で実施しにくくなり、そのため、その代替として効果が安定して高いオリゼメート剤が一気に普及したものと考えています。当時は、8%単剤の3kg/10a水面施用が大半でした。葉いもち初発前施用という使用法には東北管内でも戸惑いが多く、いろいろな経緯を経て6月下旬の暦日散布として使用法が確立しました。

MBI-R系粒剤の挑戦

福島農試時代には、箱剤としてのトリシクラゾール剤の試験を何度も行いました。箱施用という新しいカテゴリーを狙ったのですが、同剤は、成分の溶出が速いため、施用後に苗黄化の薬害が出やすく、残効もやや短く、葉いもち初発時期には効果が低下しました。そのため、対照のオリゼメート剤水面施用の卓効が目立つ試験となりがちでした。その後、徐放処理をした剤が開発されましたが、広い普及には繋がらず、トリシクラゾール剤は、もっぱら茎葉散布剤として普及していきます。トリシクラゾール剤と同系統のピロキロン剤は水面施用剤として葉いもち、穂いもちの両方を対象に開発されました。当時のピロキロン剤に関する連絡会議では、激論が交わされたそうで。その結果、北陸は穂いもちのみ、東北では葉・穂両方で普及の方向になったそうです。しかし、結果的には、穂いもち対象水面施用剤として現場で受け入れられ、既存のイソプロチオラン粒剤とその地位を競うことになりました。なお、2000年代以降、ピロキロン剤は、有効成分の溶出時期を制御する製剤化を行い、穂いもち防除をも視野に入れた長期残効型箱薬剤が開発されています。

長期残効型箱粒剤の登場

そのような中、90年代中盤からMBI-D系のカルプロパミド剤により、箱施用で葉いもち流行のほぼ全期間にわたり効果が持続する「長期残効型箱薬剤」という新しいカテゴリーが開拓され、続いて同系統のジクロシメット箱粒剤も上市されました。これらの剤の効果確認試験や連絡試験にも初期から関わりました。葉いもちに対する防除効果はかなり高く、かつ残効も長く、東北地方では、葉いもち防除による間接効果で穂いもちに対しても見かけ上の防除効果が認められていました。これらの剤は、初期害虫等に卓効のある殺虫剤との混合剤として販売されたので、省力の点から一気に普及し、オリゼメート剤(水面施用)のシェアをかなり奪うことになりました。箱薬剤は水面施用剤よりも省力的なので、水面施用剤が主体であったオリゼメート剤も、程なく有効成分の徐放化を行ったDr.オリゼ箱粒剤という箱施用剤が開発され、殺虫剤との混合剤も展開されました。ただ、水面施用オリゼメート粒剤の年次推移を見ると、推定使用面積10ha弱のところで下げ止まっており、かなりのニーズがあるようです。単なる省力化だけの動機で薬剤が選択されている訳でもないようです。
以後しばらくは、各箱薬剤間で価格や施用時期の設定あるいは混合される殺虫剤の組み合せを競う時期が続きました。通常、田植え直前の施用よりは、緑化時施用、さらには播種時の施用の方が省力的であり、特に、大型育苗施設で播種用アセンブリ・ラインがある場合は、播種時覆土前処理が有利でした。このあたりで、Dr.オリゼ箱粒剤はかなり苦労されたようでした。

耐性菌に振り回されたMBI-D剤

2001年に佐賀県でMBI-D剤に対する耐性菌が発見されて以降、瞬く間にその系統の薬剤に対する耐性菌問題は全国に拡大しました。九州沖縄農研の方には、採集した耐性菌・感受性菌を併せて系統樹を作成して由来を推定するよう助言しました。その結果、九州に分布する3つの遺伝集団のいずれにも耐性菌と感受性菌が混在していることが分かり、収斂進化、つまり、それぞれの集団内で類似の突然変異が独立に発生したことが示唆されました。種子に付着した菌の移動により分布地域が拡大した事例もあったようですが、多くは同時期の異所的耐性菌発生であり、この問題についての深刻さを思い知らされることとなりました。
MBI-R系薬剤は、いもち病菌に対する直接の殺菌効果がなく、菌のメラニン形成能を阻害する効果しか認められなかったため、その作用機作があちこちで研究されていました。一方、これらの剤は、長年頻用されても耐性菌が確認されなかったので、「殺菌効果のない薬剤は耐性菌が出にくい」とする、今考えると赤面するような俗説が流れていて、正直な話、私もそれを鵜呑みにしていました。そのため、メラニン生合成経路でMBI-R剤がターゲットとしているのとは別の酵素を阻害するMBI-D剤でも耐性菌は出現しないと高をくくっていたのは大きな間違いでした。一方、オリゼメート剤については、40年を経ても耐性菌が出現しておらず、今後もそのリスクは極めて低いと考えますが、その機構についての科学的な検討は十分進んでいないと思います。前例を他山の石として今後も慎重な対応が必要でしょう。
MBI-D剤が思いがけない事情でフェードアウトする頃、ストロビルリン系(QoI)のいもち剤が相次いで開発されました。中でもオリザストロビン剤は、箱剤として穂いもちにも高い効果が認められる長期の残効があり、紋枯病にも防除効果が見られることから、殺虫剤の混合剤で、イネの主要病害虫を網羅できる剤として登場し、連絡試験の取りまとめも行いました。ただし、既に米国においてイネいもち病菌と類縁のペレニアルライグラスいもち病菌でQoI耐性菌の報告があったことから、この連絡試験の会議では、同剤の耐性菌出現リスクが論議されました。効果が高く、その効果が長期におよぶ薬剤に高い耐性菌リスクのあることは、理論的にも予想されていたことであり、懸念を抱きながらの普及でした。残念なことに、現在では、九州などの西日本で既に耐性菌が蔓延している地域もあるようで、他剤と同じ経過をたどることになるのか、何らかの対策で蔓延を防ぐことができるのか、研究の真価が問われるところです。

他の誘導抵抗性薬剤の登場

オリゼメート剤の作用機作が植物体の本来有する抵抗性の誘導であることが知られても、かなりの期間にわたり、同系統のいもち剤は登場しませんでした。1993年に開催された第1回国際イネいもち病会議で、米国のFroyd氏はオリゼメート剤の効果と特徴に言及されていました。また、その頃、Delany氏らにより病害抵抗性に対するサリチル酸の役割がScience誌で発表されて話題となりました。当時、両氏にオリゼメート剤についての印象を質問したことがありますが、ポット試験で本剤の効果確認が難しかったのか、あまり本剤に興味を持たれていなかったような気がしました。そのような中、Delaney氏らの基礎研究からアシベンゾラル Sメチル剤が開発されました。この剤は、いもち剤としてはあまり普及しませんでしたが、その後、チアジニル剤、続いてイソチアニル剤が開発・上市されました。これらの剤の効果確認試験を行いましたが、オリゼメート剤に近い効果が得られるとの感触でした。数年前からは、これら3剤がほぼ同一の市場を競うことになったため、今後はこの分野は、いわゆるコモディティー化が予想され、さらなる新機軸が求められるかもしれません。

イノベーションの概念

多くのいもち剤の効果確認試験等に関わったので、回顧が長くなってしまいました。これからが本論です。私の少年時代である高度成長期には、各分野で新製品が次々に登場し、極めて気楽に「イノベーション」なる言葉が唱えられていました。ただし、その用語を「技術革新」と訳して納得していました。しかし、わが国が目標としていた欧米の先行技術に追いつき、新興諸国から追われる立場になった近年、イノベーションという用語の本来の意味が改めて問われているようです。多くの識者は、この用語の意味について、著名な経済学者シューペンターにより100年以上前に提唱された、直訳すると「新結合」と呼ばれる概念であると指摘しています。すなわち、新しい工夫により、ある事柄の価値が飛躍的に高まる現象を指しているようです。シューペンターは、イノベーションを5分類し、そのうち一つを「消費者の間でそれまで知られていなかった価値」としていますが、オリゼメート剤による防除システムは、この範疇に入るものと考えています。

リニア・モデルに基づかない技術開発

われわれは、基礎研究から応用研究、開発研究を経て世の中に普及する直線的な形でイノベーションが創出されるとする「リニア・モデル」と呼ばれるイメージを持っています。最近出版されたヘンリー・ペトロスキーの著書によれば、このリニア・モデルという考え方は、戦後米国で明示的に唱えられたようで、わが国では、大学や公的研究機関で長く信じられ、企業でも高度成長期の後半、日本の「基礎研究只乗り論」が唱えられるようになって以降、基礎研究を行う中央研究所が建てられました。一方、米国で「日本只乗り論」が出てくるかなり前から、このリニア・モデルに対して疑義が発せられており、上記の著書によれば、米国国防省の調査から、基礎研究が起点になって実用技術に繋がった事例は全体の0.3%に過ぎないことが分かり、80年代には別のイノベーションモデルが提案されています。
この話を読んだ時、大学時代に受講した農薬学の講義で、日本における農薬開発戦略について、はっと思うような話があったのを思い出しました。すなわち、化合物の殺菌効果に注目して試験管やシャーレ上でスクリーニングするin vitroの方法では欧米諸国に追いつけないので、発想を転換し、植物の生体上で化合物の防除効果をスクリーニングするin vivoでスクリーニングする方法が唱えられ、その成果として、一連の抗生物質等の有効成分が開発されたとのことでした。オリゼメート剤も恐らく、このような考えで開発されたものではないかと推察しています。

オリゼメートのイノベーション・スタイル

オリゼメートの開発経過の詳細については存じていないことも多いので、推察が混じることもご了解いただきます。当時の明治製菓の本業である菓子製造に関係する甘味物質に何らかのいもち病防除効果があるとの知見から、いくつかの誘導体をもちいた相当ラフなin vivo試験が水田で行われたと伺っています。当然、防除の作用機作についての知見も当時はほとんど無かったのでしょう。つまり、リニア・モデルによる開発ではありません。また、当然、剤の作用機作が当時明確ではなかったはずですから、有効な施用方法や施用時期などについても五里霧中だったのでしょう。先輩方に訊くと、公立試験場でもいろんな方法で施用試験が行われ、ついに葉いもち初発前の水面施用により安定して高い防除効果が得られる技術が確立したとのことです。この「初発前の水面施用による葉いもちに的を絞った防除」という位置付けこそが、「それまで知られていなかった価値」であり、それ故、一気に普及し、他者の追従を永らく許さない独自技術となり得たのでしょう。これらのことから、オリゼメート剤による葉いもち防除体系は、わが国の農業技術を代表するイノベーションの一つとして高く評価できると思います。また、有力な後発の薬剤に対しても戦略的に対応できたことにより、元の「新しい価値」を独占できる状態ではなくなりつつある現在でも、揺るぎない地位を保っているのであろうと考えます。

今後への期待

最後に、今後10年に向けての期待を述べたいと思います。第1は、作用機作についてのさらなる探求です。この分野では、既に明治製菓の時代から関塚泰治先生、岩田道顕先生らによる多数の業績がありますが、誘導抵抗性の機序は、植物が本来有する抵抗性あるいは究極的には宿主・寄生者相互関係の根源にも関わる課題であり、この部分の新知見からのさらなる防除技術のブレークスルーが期待されます。企業や研究機関での粘り強い研究が期待されます。
第2は、抵抗性誘導剤において、葉いもち流行後期から防除効果が低下する現象およびそれが穂いもち防除にどう影響するか究明されることが期待されます。課題としては、現象の観察により問題点を摘出する段階から。要因間の因果推論、その因果関係の機序を明らかにする段階があります。葉いもちに対する防除効果が低下するイネの状態のより正確な観察とともに、葉いもちと穂いもちがどのような発生様相の場合にオリゼメート剤の効果が穂いもちに及ぶのかという点が明らかにされることを期待します。これらは、現場に近い公設試験研究機関の得意分野と考えます。葉いもちと穂いもちの関係については、因果推論に繋げるべきです。恐らく、穂いもちに対する葉いもち防除効果の影響は、葉いもち流行のピークと出穂期との間隔が影響しており、対象地域の緯度で説明できる要因が関係するはずです。つまり、南日本型流行では両者の間隔が開いており、北日本型流行では狭く、緯度が高くなるほどその傾向が強まります。いもち病の発生については各地で長年積み重ねられたビッグ・データがあるので、先進的な統計学手法による解析も可能と思います。また、抵抗性誘導剤の防除効果が葉いもち流行後期に低減する現象に関係する生化学的レベルでの機序の解明も、これらの剤のより有効な利用法に繋がる研究の進展も期待されます。
第3の期待は、上記の二つとレイヤーが異なるものです。今後日本の水田地帯の多くに広がると予想される大規模営農の栽培体系への本剤の適応戦略です。農業生産物の世界的需給逼迫傾向の一方で、その流通の国際化が進展する傾向も、避けて通れないと考えられます。わが国では、多収・安定生産技術とともに、コストの大幅削減のための技術開発は避けて通れません。このような条件下での病害虫防除のあり方が問われています。病害虫防除による収益の高位安定化とは、そもそも総合的病害虫防除(IPM)の定義に照らせば本来の目的であるはずで、このような観点からオリゼメート剤の果たす役割を考える必要があります。いもち病による被害リスクが高い条件下では、オリゼメート剤のメリットが高いのは明らかですが、比較的リスクの低い条件下での対処法が課題となります。恐らく、オリゼメート剤という切り札となるハードとその効果的・効率的使用に関する意思決定支援というソフトを併せたパッケージとして普及することが望ましい姿と考えます。そのためには、産学連携が有効かもしれません。50周年時には、オリゼメート剤がどのような新しい展開を見せているのか、大いに期待いたします。

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