40周年記念企画

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農業技術を創った人たち

元 農林水産省 農林水産技術会議 事務局長

西尾 敏彦

「プロベナゾール」との出会い

わたしが「プロベナゾール(オリゼメート)」についてはじめて知ったのは、ちょうど今から10年前、ある農業関係研究者OBの集まりで、明治製菓の岩田道顕さんの「いもち病抵抗付与剤プロベナゾール開発の経緯」というお話を聞いてからである(注)。
さっそく、当時月に1回執筆していた農業共済新聞の「日本の農を拓いた先人たち」欄に、「3つのブレークスルーから生まれた新いもち病防除剤オリゼメート」と題する小文を寄稿した(http://www.jataff.jp/senjin3/9.html参照)。日本農業を動かしてきた特記すべき技術のひとつとして、なぜプロベナゾールを取りあげたか。農薬には疎いわたしだが、この新いもち病防除剤の出現が、日本農業の歴史にエポックを画する革新技術に思えたからである。予想は間違ってはいなかったようだ。おいしいとはいえいもち病に弱い「コシヒカリ」が、ここ半世紀近く断トツ・トップの普及面積を維持できているのも、同じ年月をプロベナゾールのいもち病防除が支えてきたからだろう。
新しい技術革新には、必ずその背景に開発者たちのドラマがある。この世界初のいもち病抵抗性誘導剤Plant Defense Activatorsプロベナゾールの場合、それがなんであったか。ここからは、それについて「外野席的考察」を加えてみたい。

プロベナゾールを呼び寄せた3つのブレークスルー

まず、先刻ご承知のプロベナゾールの開発経過から振り返ってみよう。ここはもっぱら岩田さんの受け売りだが、そこには3つのブレークスルーがあった。
最初のブレークスルーは、もちろん有効成分プロベナゾールの発見である。ちょうど抗生物質農薬のカスガマイシンが世に出た直後のことである。当時、化学農薬に代わる抗生物質農薬の探索が急がれていて、明治製菓も当初は抗生物質の開発をねらい、カスガマイシン同様に、in vivoスクリーニング(ぶっかけ試験)を採用したという。ところがこれが新発見のきっかけになった。ひとりの研究者が目標の抗生物質ではなく、抗生物質と結合させた塩に、より高い防除効果を見出したのである。より効果の高い類縁物質の探索が進み、ついにプロベナゾールに行き着いたのは、これがきっかけであった。
第2のブレークスルーは「水面施用」という新施用法の発見である。ちょうどこのころ、別会社のある農薬を施用した稲ワラ堆肥が、後作の野菜に奇形を生じさせる事件があった。明治製菓もこれを懸念し、薬剤の土壌残存の影響についての調査が開始された。さいわい薬害の心配はなかったが、ここで実験者が、この薬剤を吸収した稲が高いいもち病耐性を示すことを発見した。はじめ粉剤か水和剤としての利用を想定していたプロベナゾールが、水面施用向けの粒剤となったのは、これが契機であった。
最後、第3のブレークスルーは、実際にいもち病が多発した現地の圃場で、この薬品の並外れた効果が確認されたことである。1974年はいもち病が大量発生した年だが、プロベナゾールをテストした現地の試験展示圃だけは、極端に被害が少なかった。じつはこのころ、石油ショックの影響で製造原価が高騰、社内では発売を断念しようという意見が強かったようだが、現地を見回っていた営業担当者の熱意がこれを押しもどした。プロベナゾールはこうした人びとの熱意の積み重ねがあって、はじめて日の目をみたのである。
以上が岩田さんに拝聴した3つのブレークスルーで、ここからがわたしの意見だが……わたしにはもう1つ、その背景に、農薬事業に参入してまだ日の浅かった明治製菓の研究陣の「イネに学ぼう」という真摯な姿勢があったことを付け加えるべき、と思っている。

イネに学ぶ姿勢

プロベナゾールの作用機作については、遺伝子レベルの解明が進められているようで、わたしの注釈など無用だろう。要はこの薬剤の施用によって「イネの自己防御機構が総動員され、生得的抵抗力が活性化される」ことにあるようだ。そこで、こうした複雑な自己防衛機構が、どうしてイネで形づくられたかだが……。
いもち病に関する最古の文字記録は中国でも日本の古文書でも17世紀に見られるようになるが、実際にこの病気が農民を悩ませるようになったのは、これより遙かに古い時代からだろう。遠い昔から延々と続けられてきたイネといもち病菌の攻防の歴史は、イネといもち病菌の共進化の歴史でもある。イネはいもち病菌との戦いを経験することで、より複雑な防御機構を身につけ、逆にいもち病菌はその堅固な防御機構を突破するため、つぎつぎに新しいレースを生み出し、対抗してきたのだろう。
プロベナゾールの発見は、この複雑な防御機構を触発し、抵抗性を誘導する生理作用に、たまたま試みた「ぶっかけ試験」が遭遇したことからはじまる。重要なのは、それがシャーレ試験でなく、生育中のイネ観察から見つかったことである。そう思ってみると、第2・第3のブレークスルーも、生育中のイネの反応を観察者たちが見逃さなかったことにある。世界初のPlant Defense Activatorsの開発に導いたのは、新農薬開発に燃えた研究者・営業担当者たちのイネを見つめるまなざしにあったというわけである。
環境との調和が不可欠のこれからの農業では、農薬の開発も病原菌に直接作用する化学農薬より、作物の生得的な防衛機能を活かす抵抗性誘導剤が主流になっていくに違いない。プロベナゾールはその抵抗性誘導剤の先駆だが、これを見出したきっかけが、いかなる先進手法でもなく、ポットや現地圃場に生育中のイネの観察からはじまったことは興味深い。いもち病との長い攻防の末にイネが身につけた複雑な防御機構を見きわめるには、それが作動するゆっくりとした時間の流れにつきあい、じっくりとイネを見、イネに聞くことが必要であるということだろう。ごく当たり前のことだが、プロベナゾールの誕生秘話はその当たり前のことの重要さを教えてくれる。
前述した「農業共済新聞」に執筆した小文の最後に、わたしは「オリゼメート開発の経緯を追ってみて、とくに気がつくのは、研究者から営業担当者に至る担当者たちの〈稲に学ぶ〉姿勢のみごとさである。この姿勢が、世界に例をみないこの新農薬を完成させたのだろう」と記した。農業技術の歴史をたどるときいつも感じることだが、どんな歴史を動かす技術革新も、その基本はいつも「現場から学ぶ」ひたむきな姿勢にあるのではないだろうか。

(注)
岩田道顕氏の講話「いもち病抵抗付与剤プロベナゾール開発の経緯」は、2004年1月14日に「昭和農業研究会」において報告された。「昭和農業研究会」とは、戦後農業研究にたずさわってきた国公試験場・大学研究者のOB仲間の会。毎回、昭和農業を動かしてきた特定研究について、これにたずさわった当事者、共同研究者、さらにそのライバル研究者も集い、当時の思い出を語り合う会である。平成10年~22年の12年間にわたり、つごう80回開催された。その速記録は合本にして、農林水産省農林水産技術会議図書館(筑波)、公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会(赤坂)および農文協図書館(吉祥寺)に収蔵され、閲覧できる。なお、その一部は農文協から『昭和農業技術への証言(全10集)としても出版されている。

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