40周年記念企画

甲信越の生産者

新潟県上越市池

オリゼメートは昭和50年代初頭から使い始め、
今日までオリゼメートの全生涯と共に歩んでいる。

坪井さん2世代

坪井さん2世代

  • 繁さん(昭和7年生まれ)
  • 栄一さん(昭和29年生まれ)

上越市は、新潟県南西部に位置する都市である。
1971年、日本海沿岸部の直江津市と内陸の高田市が合併し旧上越市となり、2005年、周辺13市町村が合併し、現在の上越市となった。ほぼ全域が特別豪雪地帯に指定され、冬期の気象は厳しい反面、夏期は天候に恵まれ、豊かな穀倉地帯になっている。

坪井さんの住む池地区は日本海から約10km南下した高田平野のほぼ中心に位置しており、一帯はほぼ平坦部で、農業には恵まれた環境にある。
坪井稔さんは日本に農業高校ができた頃の初代卒業生かもしれないと勇二さん。稔さんが就農したのは昭和30年。当時の主力品種は「ホウネンワセ」、「越路早生」などだが、昭和31年からは「コシヒカリ」の作付けが始まっている。勇二さんの就農は昭和60年だが、途中、東京での就労が6年間ほどある。後にこの経験が米の消費地体験となって現在の営農活動に活かされてくる。

勇二さんは稔さんの思い出として、冷夏になると「コシヒカリ」にはいもち病が大発生し、父親は常に動力噴霧器をかついで薬剤散布をしている姿が記憶にあるという。そんな苦労がオリゼメートの導入により解消された。昭和50年代初頭からオリゼメートを使い始め、今日まで、オリゼメートの歴史と共に歩んでいる。

離農した農地を取得するなどして、勇二さんに代替わりした現在の経営規模は36ha。「コシヒカリ」の作付けは約50%。オリゼメートは箱処理剤であるDr.オリゼの移植時処理を経て、今は播種同時処理剤のファーストオリゼを導入している。

勇二さんの経営の特長は、自らもつ米の検査技師の資格を活かし、収穫した水稲のほぼ半量を直売していることである。東京での6年間で消費者心理を掴んだのかもしれない。消費者との直接のコミュニケーションルートは稲作経営の強みともいえる。平成5年の大凶作の時は消費者から直接の注文が殺到したという。苦しい時に対応したことで、強い絆ができたとも言えるだろう。

困り事を聞いた。カメムシ類の発生はこの地域でも落等の原因になっており、生産者には悩みの種となっているが、勇二さんは初期発生がなければ防除しないという。地元農協の発信する営農情報をみて、無人へり防除を申込む。これまでに大きな被害はない。
むしろ、水田雑草の防除に苦労している。以前は初期一発で済んでいたが、今は複数回防除しても取りこぼしがあり、草が強くなっているのかもしれないという。

これからのことを聞いた。後継者候補は3人いる。ご子息3人である。長男はデザイナー。次男は料理人。そして三男はエンジニア。長男はコメの包装のデザインをし、次男は自給農産物で料理を創作し、三男は農業機械のメンテナンスをする。そんな構想を語る勇二さんに農業の底力を感じずにはいられない。

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