40周年記念企画

関東の生産者

栃木県大田原市小滝

箱処理剤を導入してからはいもち病の発生は一層少なくなり効果はより安定してきた。

植木さん2世代

植木さん2世代

  • 初男さん(昭和24年生まれ)
  • 俊行さん(昭和47年生まれ)

栃木県大田原市は、県北東部に位置し、東端は八溝山地により茨城県、福島県と県境を接し、中央から西部は那須野原扇状地の扇端付近に当たる平地が広がり、豊かな穀倉地帯を成している。
鮎漁の盛んな清流として知られる那珂川が市の中央を流れ、八溝山系の里山など豊かな自然が息づいている地域でもある。

植木初男さんは、昭和42年、専業農家であった先代の初太郎さんの片腕として就農した。先代の時代には農耕馬がいたことを記憶しているという。初男さんが就農時には、耕耘機を使用していた。
就農当時、水稲品種として既に、「コシヒカリ」を栽培していたが、主力は「フジミノリ」、「レイメイ」。その後、早生多収品種として「トヨニシキ」を導入し、「日本晴」、「初星」の作付けにも取組んだ。
いもち病で思い出す品種は昭和40年代に作付けした「クサブエ」である。いもち病抵抗性品種として導入したが、作付け数年後に罹病化した。これは「抵抗性の転落」の歴史的事実であろう。
現在の水稲作付けは約7ha、「コシヒカリ」を50%栽培し、50%は「あきだわら」という晩生の短稈多けつ型の多収性品種(主に業務用)を作付けしている。作業とリスクの分散も考慮し、2品種を導入している。

オリゼートとの出会いは昭和55年頃。いもち病の発生しやすい圃場を中心に本田でオリゼメート粒剤を処理した。平成10年からは箱処理剤(Dr.オリゼプリンス粒剤)へ切替えた。本田剤の時は処理するタイミングに苦労したが、箱処理剤を導入してからは、いもち病の発生は一層少なくなり、効果はより安定してきた。

平成5年の「大凶作」のことを聞いた。大田原市は遅延型冷害で平均収量は2~3俵。よくて5俵であった。いもち病の発生状況については、とにかく穂は空っぽで病気どころではなかった。気になることは、米不足と報道されたが、倉庫にコメは残っていたという…。

後継者として期待している長男の俊行さんは、今は勤めのかたわら、農繁期などに手伝ってもらっているが、10年位したら本格的に就農してくれるかもしれないと遠慮がちに語る初男さんの言葉には、直向きな農業者の熱い思いが込められていた。

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