いもちの素性を知る

あとがき

いもち病について解説記事を明治製菓(株)の情報通信(MlX)に連載してほしいと依頼されたのは1994年10月だったと記憶している。そして浅学の身も省みずにその第1回をお届けしたのが同年11月14日付であり、以来通算して52回まで継続し、満2ヵ年余りを経過して、1996年12月に終了した。

隔週毎に400字詰の原稿用紙7~8枚をうめる仕事を楽しく続けさせて頂いたことは、たいへん幸いなことでもあり、脳の老化防止にも有効であったと感じている。

この記事の大部分は諸学兄の業績をひもとき、その内容を正しく紹介することを主眼とし、広範多岐にわたる蓄積資料の中から、なるべく現場の防除や予察活動に関連の深いところを中心にして、少しでも農家に役立つような項目について述べてきたつもりであった。しかし、こと志と反して、内容要約がボケたり、表現がまずかったりして、その不出来に恥入るばかりで汗顔の至りである。

私の岩手県農試在職中の仕事は、農試圃場の立地条件の関係もあったりして、いもち病関係の研究はほとんどノータッチに経過し、その間わずかに航空散布法改善などの課題にかかわった程度であった。

県立農試の立場は、農家が直面する緊急課題の解決を第1位にして進めていく使命があるので、当時普及上で問題だった箱育苗法にみられた苗の生育障害の解消、それ以前ではビニール畑苗代、或いは保温折衷苗代の普及に伴う病害発生の対策樹立などに力を注いてきたわけで、具体的にはイネばか苗病、糸状菌、細菌類による苗立枯病等の防除法確立がその主体であった。したがって担当した課題の面からみると「門外漢」でもあるわけである。この解説記事の執筆に当って、私にとって幸せだったことは、全国各地とくに東北、北陸地方の国公立農業試験場でいもち病研究に精励された多くの研究者から、極めて多数の研究論文の別刷を頂戴していたことであった。このシリーズに活用させていただいた諸論文は、私の書斎にそろえてあるものがそのほとんどであって、執筆準備のために農試図書館などに出向かなくとも済んだことであり、改めて先輩研究者の友情に深く感謝申し上げる次第である。

これまではともすると自分の研究テーマに関連した文献にのみ注意を払ってきた経緯もあったので、したがっていもち病に関する諸論文はこの仕事が始まってから精読したのが大半でした。そしていもち病研究の奥の深さと量の多さに改めて敬服させられたような次第です。

米をとりまく環境は実に厳しい今日です。生産面だけをみると、消費者からの無農薬、減農薬の要求に対して、冷害やいもち病多発がほぼ常習的にみられる東北地方の稲作にとって、どこで妥協点を見いだして、安定生産の実をあげようとするのか、また、農家側の実態は、労働力の流出、高齢化、後継者の慢性的欠乏等から耕作放棄すら珍しくない危機的な現実をみるとき、生産現場には明るい材料に乏しい今日の状況である。

いもち病防除の場面でみると、他分野と同様に省力化の必要性と、またその要望も極めて強い。そのために現在は薬剤使用の少量化(1キロ剤の普及)、パック剤の登場、箱処理の実用化、側条施用の開発、RCヘリの散布推進などがはかられてきている。さらに今後もより省力化のための要請が続<だろうから、各々の関係する立場から継続的な努力が必要となってくる。各位の頑張りに期待したい。

明治情報通信の発行に引続き本書の刊行に当っては明治製菓(株)生物産業仙台営業所、巻直樹氏に作業の一切をとりしきって頂いた。岩手県農業研究センター環境保全研究室長、武田真一氏にはとりまとめに当って種々有益な助言を賜った。また、北興化学工業(株)仙台支店長、安部素生氏には執筆に当たっての督励と種々の便宜を与えて下された。さらに明治製菓(株)農薬資材部営業グループ斎藤明彦氏には印刷社との交渉や校正について特段のお骨折を頂戴した。

諸氏に対し衷心より感謝とお礼を申し上げる次第です。

平成9年7月 渡部 茂

著者略歴 渡部わたなべ しげる

昭和3年 福島県下郷町に生れる。
昭和24年 盛岡農林専門学校(現岩手大学)農科卒業
同  年 岩手県立農事試験場助手
昭和53年 岩手県立農業試験場環境部長
昭和57年 岩手県北上農業改良普及所所長
昭和59年 第40回農業技術功労賞受賞
昭和60年 岩手県花巻農業改良普及所所長
昭和62年 岩手県職員退職
同  年 北興化学工業(株)
同  年 明治製菓(株)技術顧間
現在に至る。

農学博士

1997年9月17日 第1刷
著 者 渡部 茂
発行者 オリゼメート普及会
印 刷 株式会社 恒陽社印刷所

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