いもちの素性を知る

第2章 いもち病とはどんな病気か

3.いもち病の特徴

1)発病部位による名称

いもち病は条件がよければ、根を除く地上部の各部分を侵す。そして侵された器官の名をつけて、葉いもち、穂くびいもち、枝梗いもち、もみいもち、節いもち、葉節いもち等と呼ばれる。このうち、穂くびいもち、穂くびいもち、枝梗いもちを総括して、穂いもちと呼ばれることが多い。このほか、種子の粒基部の護穎が侵されるとごえいいもち、穂くび以下のみごの部分が侵されて、みごいもちと呼ばれることもある。

また最近、箱育苗とともに注目される、いわゆる「苗いもち」と呼ばれるものは、詳しくは葉に斑点を生じて、「苗の葉いもち」でもあるが、苗の葉いもちとは呼ばず、また、苗に特異的にみられる葉鞘部の病斑形成に対して、これを葉鞘いもちとは表現していない。苗いもちは苗がいもち病に感染すると、萎ちょう、立枯れ、枯死を伴い、文字どおり苗全体が侵されるので、「苗いもち」とし、苗の葉いもち、苗の葉鞘いもち等とは呼んでいないのである。

以下各発生部位ごとの名称について述べる。

(1)苗いもち

前述したように、苗全体がいもち病菌に侵されて、苗は萎ちょう、立枯れ、枯死する。苗の葉身に病斑を形成しても、本田の葉いもちとは区別され、葉いもちとしている。箱育苗の普及とともに、いもち病による苗立枯病が発生し、注目されるようになった。さらにこれが補植用車、取直苗(地域により、研究者により異なった表現があるが、統一が望ましい)として長く本田に放置され、ここで発病し、胞子形成して周辺株への伝染源となることも知られるようになった。

苗いもちの症状は、催芽直後から鞘葉では不鮮明であるが、全体が灰色~暗灰色を呈する。しかし、この頃はFusarium、Rhizopus属菌等の様々な糸状菌の関与もあるから、肉眼的にみて明瞭な判別は困難である。不完全葉では中央が灰緑色、周辺褐色の不整形病斑を形成し、ここが枯死する。また、その上位の第一本葉葉鞘に拡大して、やがて苗全体におよび、褐変枯死(萎ちょう)に至る。立枯れに至らない苗はその後葉身に典型的な葉いもちの病斑をつくるようになる。

箱内ではこの頃になると株間がせまいので、接触し多湿となるから、次第に隣接株へ伝染し拡大する。はじめの発病株は立枯れ状となり、これが陥没して草冠はV字状となってくる。

しかし、このような苗いもちも、意識的に発病させるためには、研究者はたいへん苦労するものである。それについてふれておこう。箱内で意のままに容易に、しかも周年的にいもち病を発生させることは、例えば種子消毒剤の効果検定の時などには絶対必要な条件となる。ところがこれまでの例では、発病がなくても結果が不鮮明であったり、試験法の違いで発生が不鮮明で判断が困難だったりした事が多かった。このような経験から、最も確実に発生させ得る処決や管理技術の統一を見出し、的確な発病を得るためのマニュアルづくりを目的に、全国の主な農試で1992~1993年に連絡試験を実施した。この結果から山形県農試で作成した「イネいもち病の種子消毒試験方法マニュアル」が提示されたのでそれを示し参考に供したい。

この方法によれば、保菌種子から確実に苗いもちを発生出来るとし、それによって種子消毒剤の殺菌効果を確実に把握できるとしたものである12)

このことは換言すれば、保菌種子を播種しても、適度の湿度、温度の保持や遮光、防風などのコントロールが十分でないと、苗いもち発生が困難であるということである。さらにこれは、一般管理条件下では苗いもち(苗立枯れ)の発生は容易には起こりにくいという問題でもあり、微妙な内容をはらんでいると言える。

苗いもち発生にからむ私の体験を紹介する。1974年は岩手県では、1963年に次ぐ葉いもちの多発生年であった。40,700haの発生面積が記録されている。この年の葉いもち広域発生は例年より早く、各地からその情報が農試によせられてきたのである。

この葉いもち初発生状況をみるために巡回調査を実施した。盛岡市に近いS町の水田地帯は、ゆるやかな傾斜地となっていて、その西側の境界部は丘陵地に接し、やがて高い山々に連なる地形であった。下方の東側と南、北部地帯はひらけて、ともに広く水田が続いていた。下方から順次上方(西側)に向けて調査したが、次第に葉いもち発生がひどくなっていくことに気づき、ついにはその最西端の水田まで到達していった。そこに立って観察すると、最上方の水田が最も激しく発病していて、順次下方へ拡大したことが鮮明によみとれた。このことから、激発している最上方水田への伝染源は何かを現場で調べることにした。この水田は低灌木、ササ自生地に隣接し、その林地はさらに西側の山に連続していた。しらべて間もなくであるが水田隣りのササややぶの中に大量の箱苗が捨てられ、まるで小山のように積んであるのを発見した。それは日照はさえぎられていて多湿となり、そのためか大半は急性型病斑であって、その上には多量の胞子形成が観察された。

同地域でのいもち病拡大は、この山林内に棄却された箱苗からであることが明白となったが、捨てられた理由は解明されないままであった。1974年は箱育苗が導入されてから数年しか経過していない。すてられた苗はRhizopus属菌による立枯症と、Fusarium属菌の発生もみられたから、これらの発生のために棄却されたのか、単純な苗余りのためか、苗いもち発生が目立ったので本田移植を止めたのかは不明だ。この当時は育苗経験の不足もあって、育苗上のトラブルは現在よりはるかに多かったのである。今日では補植のすんだ本田では、速やかに取置苗の撤去を呼びかけており、また、農家に対処してもらっている。

いもち病発生時期が近づくと、農協が中心となって、取置苗撤去班を組織して、余り苗の除去を農家に呼びかけ活動をしているのである。あるときこれに参加して、班員に発見のコツを伝授したことがある。ある農協での放置苗調査では、こんなこともあった。ここでは事前のPRが行き届いていたためか本田内にはほとんど取置苗はみられず、立派な指導の結果がよく示されていた。数班に分かれて調査した結果の総括は、どの班も同様に、放置苗はみられないと報告されたのである。そこでその苗はどこに、どのように処分されたのかを問題にして、調査者らに意見を求めた。それは前述のササやぶ内放置の事例を私が知っていたからである。農協では取置苗を本田から除去することは指導しても、次にどこへ、どのようにして処分するかはよく指導していない。そこでみんなを集めて、水田に近いやぶの中に捨て苗がないかどうかを調査してみた。その結果は私の予想どおり、数か所で発見することが出来た。もちろん苗は発病し、胞子形成も明瞭であった。このように、せっかく本田内からは撤去されても、その後の処置が適切でないと、それまでの努力が役に立たないことになってしまうのである。1974年のS町の例のくり返しになる可能性をもっていた。まさに「画竜点睛を欠く」の見本をみた感じであった。このとき調査全員に対して、苗の捨て場所と処置(苗は穴を掘って埋めること、水田畦畔上や土手への放置は、苗が長く生存し、やがて発病し、伝染源になること等)について説明した。そして、このことを強く認識させるために、私の発案になる「やぶいもち」と新語を披露したのだった。

イネいもち病の種子消毒試験方法マニュアル
(山形県立農業試験場)

(2)葉いもち

葉いもちは、最も人目につきやすく、またよく研究もされている。しかし、発生のごく初期には、ごま葉枯病斑やその他病斑(条葉枯、褐色葉枯、赤枯症など)と判別がむずかしく、また、暗緑色の急性型病斑などは見逃されたりして、大事に至ることは稀ではないので、ここではむしろ典型病斑以外のものに注意する必要がある。普及員、営農指導員が、農家から診断を依頼されるのもこのケースが多い。

一般的にみられる病斑の典型を平面的にみると図示したようになる13),14),15),16),17)

葉いもち病斑の形態は、罹病イネのおかれた環境や、抵抗力によって様相がちがってくる。はじめに図1に示した病斑ありきではなく、その移行過程のものも多いので複雑であり、葉いもち病斑のすべてがこれらに包括されるものではない。

小野小三郎氏(1953)は次のように葉いもち病斑を類別した。慢性型~健全部a、中毒部b、壊死部c、崩壊部dの4部が明瞭に認められるもので、図示したものはこれに当る。いもち病斑の典型的なもの。急性型~一般には発病初期の若い病斑や、多肥、多雨少照の発生好適条件下で、イネの抵抗力が弱いときに形成される。それが長期にわたり、慢性型への移行がおそいほど激発につながる。四つの区画ははっきりしない。丸味をおびた病斑となる。

白斑型~全体に小型だが、中には2~3コ融合して大型(慢性型程度に)となる。イネの若いときにみられる。白~灰色を呈し、四つの区画ははっきりしない。悪天候のときに急性型に変わって、激しくまん延することがあるので油断できない。私は1993年大冷害のとき、若齢苗(田植が6月中旬と大巾に遅延したことによる)で、7月から発病し、全面白斑型病斑となった特異例を雫石町で観察した。結局この水田はズリコミいもちとなった。

褐点型~褐色の小斑点に止まり、拡大しない。イネが抵抗性であるとき、下葉(古い葉)にもみられる。

以上の類別のほかに、鐙各大節氏(1955)はイネ組織の病変と、これに関連している外観上の病斑の色、形を類別して、b、yb、bg、ybg、pg、p、wの7型とした1)

また、豊田栄氏ら(1952)は、同一品種葉上に生ずる種々の病斑を外観的に類別して、その上における胞子形成量を組織の抵抗程度の指標として、病斑の外観との関連性で病斑型を設定した。それは病斑型5、4、3、2、1とするもので、2から5は胞子形成し、その形成程度は4>5>3>2の順、病斑周辺の褐変は胞子形成阻止の重要な要因であるとしたものである18)

また、かつていもち病菌のレース判別のための共同研究が盛んな頃、病斑型によってレース類別をするため、共通基準となる病斑型を設定した経緯があった。それはR型(抵抗型)、RS型(弱度罹病型)、MS型(中度罹病型)、S型(強度罹病型)と四型に分けたものである11)。S型には白斑型を加えている場合もある。

以上述べてきたように、ひと口に葉いもち病斑といっても多くの形状を持ち、形も色彩も、大きさも異なると同時に、その上に形成される次世代の伝染源(分生胞子)量も著しく異なるのである。それは罹病したイネの抵抗力と、イネがそれまで経過した生育環境とを集約した姿であるとともに、今後の病気伸展をも予測する顔そのものであると言える。

表1. 感染型と構成組織、抵抗性、呼称名など
(鐙谷1955)

図1. 典型的な葉病班と組織構成
(小野1953)

(3)穂いもち

穂いもちは前にも述べたように、くびいもち、枝梗いもち、穂軸いもち、みごいもち、もみいもち、護穎いもちを総称している。穂いもちの中で最も早く症状を示すのはもみいもちで、出穂4~5日後には灰緑色となり、やがて褐変して多量の胞子を形成する。そしてここから枝梗いもちに拡大し、枯れ下がりの原因となる。この枝梗いもちは後に枝使節→穂軸節→穂くび前へと病斑が伸展、拡大するから、穂いもち発生の程度は、はじめに感染発病するもみいもちの多少によって決まるケースが多い。したがって最近では、もみいもちに重点をおいて調査するようになった。

被害(減収)としては、くびいもちが最大で、ここが発病すると穂全体が枯死して、いわゆる「白穂」となり、この穂上のもみは稔実しない。これは出穂初期に罹病したときに顕著であり、中~後期に罹病しても、もみの稔実は阻害されて減収が目立つ。

みごいもちは、穂くび節から下方に病斑が形成されるが、中には止葉々鞘内にある部分までも罹病することがあり、白穂率も高まる。

小野(1955)、平野ら(1963)が報告したくびいもち、枝梗いもちの病斑拡大の様子を図示(図2,3)すると次のようになる4),15)

(4)葉節いもち

葉節とは葉と葉鞘との境界部のことで、ここは葉舌、葉耳、葉節(狭義)から成っている。この部位がいもち病に侵された場合に「葉節いもち」と呼んでいる。この部位が侵されると、葉舌と葉耳は生気を失ってしおれてくる。ここは罹病による褐変も他の器官の場合ほど明瞭ではなく、また、一般には目立たない場所でもあるので見逃されやすい。しかし、ここから褐変病斑は葉身、葉鞘の境界部を上下方向に進行し、拡大して目立つようになる。さらに進行すると、葉身基部全体が中心部灰白色、周辺部褐色の病斑となり、葉身が枯死して垂れさがる。

止葉ではやがてここを通って穂が抽出するので、この葉節部発病の有無は、穂くび、しこう、もみいもち等穂いもち発生と関係の深いことが指摘されている。

私の観察では、止葉葉節の発病は、そこから抽出した穂ではほとんどが発病し、白穂、くびいもち、しこういもちになる場合が多い。しかし、穂いもちにかかった場所の止葉葉節は、すべて発病しているわけではない。また、両者の発病のタイミングは、止葉葉節の褐変が先であることも多いが、明らかでないこともある。止葉葉節の発病が常に先行するならば、穂いもち発生の予察に役立つかもしれないが、その場合は散布適期の範囲内であることも条件となり、簡単ではない。

現在では穂いもちの予測には、止葉と次葉、3葉の病斑形成が関係ありとして利用されている。即ち、上位3葉の病斑の有無、多少を調査することで、穂いもちへの移行を予測しようとするものである。この場合、止葉の発病(病斑形成)と出穂時期はほぼ同時なので、薬剤散布の準備や不順天候の場合は、それを指標とすると間に合わないケースも考えられる。表2に記したように、葉位別病斑数と穂いもちの相関は、次葉で最もその係数が高いので、それを利用すればよいし、或いはその次の葉も同時に調査して指標とすれば、より精度の高いものとなるであろう。

葉舌はイネ体の中で最もいもちに弱い器官であり、ここに形成した胞子は、止葉だと穂、穂くびにつきやすいし、第2、3葉の場合は、以下の葉鞘内に流下して、節部に到達することになり、節いもちの重要な伝染源となる。

(5)節いもち

イネの節は生育中は葉鞘に包まれているうえ、いもち病にかかるのもこの状態であるから、人目にふれることはない。昔は鎌で刈取ったので、いわゆる「ふし折れ」となった節いもちに悩まされたものである。機械による刈取り、脱穀の一貫作業では、節いもちにお目にかからないまま収穫を迎える場合が多いから、節いもちの認識も乏しいのかもしれない。図5に示したものは、節いもちの進行についてみたものである(外部形態)。はじめ小さな斑点として現われ、しだいに上方に拡大する。下方では不定根発生帯(ばか苗病に感染すると、不定根の発生がみられる帯状の部位)のところで、その拡大が阻止されるようになるが、やがてその下部(桿)にも拡大するようになる。褐~黒色の病斑であるが、ごま葉枯れ病にかかった場合の黒褐色~黒色や、Alternaria、Cladolosporium属菌に侵された場合に比較すると全体に色が淡く、また、周辺が不明瞭であること、病患部が陥没していること、容易に折れること等で区別がつく。

節いもちの発生が早いとき(早期の感染発病)は、この節位から上部が枯死し、そこから折れるので、穂の稔実阻害、穂の脱落で被害も大きい14),16),17)

次年への伝染源はこの節いもち罹病部で越冬した菌による場合が多い。古くはイナワラの屋内貯蔵が多く、また、ワラ加工品も沢山つくられたので、ここから苗代、本田に胞子が飛散して行くとみられていた。現在の農作業体系からみると、コンバイン脱穀で細断されたワラが、乾燥状態のまま水田上に放置されたとき、または、水田近くに堆積されたときなどが菌の越冬に好適条件となる。

出来うれば秋耕して、細断ワラを土中にすき込むこと、集積して堆肥化することが伝染源を減らすにはよい方法である。

表2. 穂いもちと葉位別葉いもちとの関係
(加藤ら1974)

図2. くびいもちの発生経過
(小野1955)

図3. 桔梗節感染からの病徴の推移模式図
(小野1963)

図4. 葉節いもち

図5.  節いもちの進行(外部形態)
(小野1960)

2)ズリコミいもち

これまで1) で述べてきた、発病部位によるいもち病の名称とは項を別にして、株全体の症状を示す名称としての「ズリコミいもち」をとりあげる。

イネがはげしく侵されると、イネ自体の生育が異常となり、異なった形態を示すようになる。即ち、株全体が萎縮して、ズリコミ症状を呈するので、ズリコミいもちと呼んでいる。ズリコミ症状の出る条件は、いもち病が激しく発生したときで、イネ側からみれば、若齢の時(移植後の早期発生)、チッソ肥料が多く、これを過多に吸収して抵抗が弱くなったときなど。環境面からは日照不足、夜間気温、湿度の高まり等まん延好適条件の早期到達などがあげられる。

個体の症状では、

  1. 病斑形成後に抽出する葉と分げつ茎が短小となる。
  2. 葉が抽出するとき展開した形で出葉する(正常では先端から巻いている)。
  3. 葉、葉鞘が濃緑色を呈する。葉縁が波状に縮葉する。
  4. ズリコミ症を起こした株は出葉日数、分げつ出現日数が短い。
  5. ズリコミ株の出穂は、穂長、もみ長が短く、穂のねじれ、枝梗の湾曲、奇形穂の出現がみられる等々である。

ズリコミ症は罹病による中毒現象と考えられているが、その物質は明らかではない。東北地方では、いもち激発時にはよく見られる現象である。近年では1993年の大凶作時の多発生が記憶に新しい。

3)誘因による名称

いもち病発生の誘引となるいくつかの要因のうち、とくに環境条件を主体とした名称であり、古くから慣用的に用いられていたが、現在では使う人は少ない。例をあげておく。

1 肥(こえ)いもち

肥料、とくにチッソ肥料が多すぎたときに発生するいもちを言ったもの。今日では堆肥の置いた跡地、全般に肥料分が多く、葉色の濃い水田で、ここにいもちが発生した場合を総称している。

2 冷(ひえ)いもち

冷水がかかり、このため生育が遅れ、イネが長く軟弱な状態のためにいもち病の発生をみた場合を言っている。同様に水口(みなくち)いもちといって、冷水のかかる場所を指して言う場合もある。

3 その他;旱(ひでり)いもち

旱ばつ後に発生するいもちを言うが、東北地方ではあまり例がないようである。風いもち~台風、強風の吹いた後に発生するいもちを言うが、これも前者同様で、通常はそれほど多い事例はない。

●参考文献

  • 1)鐙各大節 栃内・福士両教授還暦記念論文集(1995)
  • 4)平野喜代人ら 農技研報告C16(1963)
  • 11)農林省植物防疫課 病害虫発生予察特別報告 5(1961)
  • 12)日本植物防疫協会 平成6年度一般委託試験成績(東北地域)(1994)
  • 13)小野小三郎 北陸農業研究 2(1953)
  • 14)小野小三郎 稲病害とその防除法、養賢堂(1953)
  • 15)小野小三郎 いもち病防除に関する研究、農業改良5(1955)
  • 16)小野小三郎 病害虫発生予察特別報告.4(1960)
  • 17)小野小三郎 イネいもち病を探る、日本植物防疫協会(1994)
  • 18)豊田栄ら 日植病報 17、1-4(1952)

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