いもちの素性を知る

第7章 いもち病の防除

4. 薬剤による防除

1)農試における農薬試験の取組

第二次世界大戦から終戦後しばらくの間は肥料事情が極度にひっ迫し、このためかろうじて堆厩肥を主体とした自給肥料によって稲作が行われてきた。このため生産力が低く、病害虫の発生も少なく、被害もごく軽微なものであった。

窒素肥料の使用量をみると、1937~1940(昭和12~15年)を100とした場合、1943年(昭和18年)74、1945年(同20年)30、1947年(同22年)46、1949年(同24年)80、1950年(同25年)90を示し、この時期は戦前の使用レベルまでに達していない。

1952年(昭和27年)ころからはようやく肥料事情も好転し、保温折衷苗代の普及と相まって、早植多肥栽培が行われ、積極的な増収栽培が行われるようになってきた。

1953年(昭和28年)に至り、この年の7月からの多雨少照の気象経過によっていもち病の大発生となり、戦後初の激発で各地に被害を生じた。この年の発生面積は葉いもち18,000ha、穂いもち13,00haに達し、それまでの平年発生量の3倍以上を記録した11)

しかし、この多発生時においては今日のようないもち防除剤がなくて、防除のための薬剤散布はほとんど行われていない。

1951年にいもち防除剤の効果を御明神村(現雫石町)ではじめて試験した。銅剤が主体であったが水銀剤として種子消毒用のウスプルンを1,000倍にして散布し、8斗式石灰ボルドー液、散粉ボルドー、王銅粉剤と比較した。この水銀剤の効果は顕著で対照剤にまさる結果を得た。しかし、ウスプルン液散布では茎に対する葉の付着角度が広がり、横に開いた草型を呈した。これは薬剤散布の影響と判断した。

いもち病に対して水銀剤を使用して試験をしたのはこの時が最初である。

これに先立ち、当時イネ病害では重要な位置にあった小粒菌核病の防除にセレサンを使用したのは1949年(昭和24年)で、これがわが国で最も早い水銀剤の使用である10)。この後も引続き小粒菌核病防除にセレサンを使用して試験したが、1951年にはセレサン200匁と消石灰を1:5の割合に混合して散布し、高い防除効果を得ている。このことを応用して翌1952年にはいもち病防除にはじめて試験を開始した。水銀粉剤によるいもち防除試験はこの年がら全国的にはじめられたが、高知農試では1949年から試験され、またこの結果から1952年には中国・四国地方各農試でセレサン石灰によるいもち病防除実用化の連絡試験を実施して、その効果がすぐれていることを確認している。

これらの試験経過から1953年のいもち病多発生には実用を期待されたが供給量が不十分で、ほとんど使用されていない。本格的な使用は翌1954年からとなった。

1954年からセレサン石灰の本格使用と平行して、新しい有機水銀化合物のいもち剤開発が相次ぎ多くの薬剤が使用されて、しぱらくはいもち防除剤の主流を占めた。

1954~1957年の4年間にわたり農林水産省連絡試験がはじめられ、「水稲に対する有機水銀散布剤の経済効果ならびに使用方法の検討」のテーマでセレサン石灰2kg、4kgの比較、さらに収量、品質の検討、引続いてフミロン錠、PMF、リオゲン等の新剤も供試して詳細な検討が行われ、水銀剤使用場面での基礎的研究が実施された。この試験には岩手農試をはじめ、北海道、福島、東京、奈良、岡山、高知、福岡、熊本農試が参加している。

1960年には非水銀剤としてはじめてブラエス水和剤(抗生物質)が登場、1963年までに大規模試験などの検討がなされた。

1963年から同じく非水銀剤である5B(有機塩素剤)が、また1964年にキタジンA,B乳剤、粉剤、1965年にブラスチン(有機塩素剤)、カスガマイシン(抗生物質)等が相次いで登場して試験された。このうちカスガマイシン剤(カスミン)では散布法とともに新しい処理法として種子塗抹法、土壌灌注法、土壌施用法(粉剤)、苗浸漬法など茎葉散布によらない処理法が試験されて注目された。

1967年から1969年には主な薬剤を使用して耐雨性の試験が行われ、散布前、後の降雨と効果の関係を検討した。

さらに1970年からはオリゼメート+カスミン剤、キタジンP粒剤の水面施用法などが試験され、1971年からは微粒剤の航空機による散布、1973年から同じく航空機による微量、少量散布によるいもち、紋枯病同時防除試験が実施された。これより先1967~1966年には農林水産航空協会の委託によりカスミン剤による微量散布の実用化試験が都南村見前(現盛岡市)の水田で行われた。

それまでは岩手県内における航空散布は粉剤は2.5kg/10a、液剤は3L/10a散布が主体であったが、この試験結果から1回目の100mL/10a、2回目150mL/10aを基準としてカスミンLの散布に改められ、散布能率が大幅に向上するとともに、散布料金も節減され、事業推進に大きく貢献した。ちなみに当時の航空散布における経費(薬剤費、散布料金、その他の合計)を比較してみると表8に示すとおりである。粉剤、液剤少量散布と微量散布が同時に行われた1969、1970年の実績をみると327円:282円,345円:286円になっていることから約2割安となり、当時最も有利な防除法であることを物語っている。また、散布能率も粉剤、液剤(少量)散布時の1日当り作業能率が130~150ha(1968年まで)であったのに対し、一部微量散布(面積率で25%)が導入された1969年は175haとなり、ほぼ全域が微量散布に統一された1971年には356haと飛躍的に向上した。前記散布料金の節減と相まって、農家の全面的な同意のもとに液剤による微量散布方式が発展していった。この岩手県の切替は直ちに東北各県にも普及した。

1982~1983年にはオリゼメート粒剤の航空散布による葉いもち防除試験を全国に先がけて実施した。1982年には少発生のため判定は翌1983年にもち越しされた。それによるとオリゼメート粒20%剤10kg/ha航空散布区は病株率4%、病葉率0.1%、防除価95を示し、同剤(8%)の地上散布区(3kg/10a)の8%、0.2%、89を上回る好成績を得た。このときの無散布区は72%、1.9%であったから実用性は高いと判定した。

1985年以降においては、時代の要請や農薬環境等の変化により、使用法の簡便化(パック化)、他病害虫との同時防除(混合剤化)、育苗箱処理による本田発生の防除、側条施肥田植機による施薬法など省力化を最重点とした新しい使用方法の開拓、環境への影響、安全性等に配慮した薬剤の選択が命題になってきた。したがって防除基準に採用される薬剤も従来よりは少なくなり、「出入り」の少ないものとなっているのが特徴である。

1985年から1996年までの期間に防除基準に採用されたものは新しい使用法採用に伴うものを含めて8剤、削除2剤でその動きは従前より少ない。

表8. 空中散布における経費比較

●参考文献

  • 11)岩手県 植物防疫20年の歩み(1972)

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