水稲研究最前線

顕微鏡で見るイネいもち病の感染と防御機構

石川県立大学
古賀博則先生

Ⅰ.いもち病菌はイネにどのようにして感染するか?

いもち病は稲作に甚大な被害を与えるため、もっとも恐れられている病害の一つです。本病の発生部位によって苗立枯れ(苗いもち)、葉いもち(図1)、穂いもち(図2)、節いもちなどがありますが、その病原菌はいずれもイネいもち病菌(図3)です。これまで、いもち病菌による多大な被害を免れるために、発生生態に基づいた発生予察、病気に強い抵抗性品種の育成そして防除薬剤の開発が行われてきました。

これらの研究、事業の基礎は、いもち病菌がイネ体につき、侵入し、病斑を形成していく過程、および本菌の侵入・伸展に対して、イネ自身の細胞が抵抗する様子の観察結果に基づいています。しかし、いもち病菌の胞子は10~20μmの長さで、イネ体に入っていくときの侵入孔の直径は約0.4μmというきわめて微細な世界で起きるため、上に述べました場面を観察するためには、光学顕微鏡および電子顕微鏡が不可欠です。なお、1μmは1mmの1000分の1の長さです。

孫子の兵法に「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」とあります。「敵を知り、己を知るならば、絶対に敗れる気づかいはない。」ということですが、ここでは、敵(いもち病菌)が己(イネ)にどのようにして攻撃してくるのか? 一方、己の戦力にはどのようなものがあり、敵の攻撃に対してどのように防御するのか? 防御を助ける武器・弾薬(農薬)にはどのようなものがあり、それらは敵の攻撃をどのようにして防ぐのか? 両者の攻防(いもち病菌とイネ細胞との相互作用)の場面を顕微鏡で観察した知見に基づいて述べていきたいと思います。

図1 本田における葉いもち激減の状況

発病の激しいイネ株は生育が著しく劣るズリコミ症状を呈している。

図2 穂いもちの大発生の状況(1990年9月新潟県妙高杉の原)

この年の夏は冷害で山間地では穂首いもちが激減した。

図3 いもち病菌の感染が起きているイネ葉鞘裏面組織の断面の走査電顕写真

いもち病菌の胞子(Sp)は、発芽管(GT)を伸ばし、その先端に半球状の付着器(Ap)を形成します。付着器はいもち病菌がイネ体に侵入するための器官です。いもち病菌は付着器の底部からイネの表皮細胞(EC)へ侵入し、侵入菌糸(IH)を伸展させます。

1.胞子は発芽管の先端でイネ体表面に付着する

葉身(図4)や穂(図5)の病斑部には胞子が形成されます(図6)。胞子は成熟すると、離脱します。1個の病斑から多い時には毎日3万個もの胞子が空中を飛散して、一部がイネ体の上に落下すると言われています。イネ葉身上に胞子が落下しても、その直後に、5mm/時より多い雨量の降雨にあうと、病斑数が減ると報告されています。このことから、胞子自体はイネ体にしっかりと付着するようにはできていないと考えられます。実際に、イネ葉身にいもち病菌を接種し、胞子を蛍光色素で染色して蛍光顕微鏡下で計測すると、接種直後はほとんどの胞子が落下するという結果が得られました。接種30分後以降になると、胞子先端の発芽部位から多糖を含む粘質物を放出します(図7)

図4 典型的な葉いもち病斑

病斑には多量の胞子が形成されており、毎日数万個の胞子がここから飛散します。

図5 穂首いもちの病斑

灰色~銀色の穂軸部位には膨大な量の胞子が形成されていて、伝染源となっています。

図6 胞子形成部位の走査電顕写真

穂軸の気孔(St)から分生子柄(Cp)が数本伸びていて、柄の先端に胞子(Sp)を実らせています。分生子柄は、胞子を実らすための枝です。

図7 発芽しているイネいもち病菌胞子の透過電顕写真

いもち病の胞子(Sp)は発芽管(GT)を出すとその周りに粘質物(Mu)を分泌します。

人工膜を用いた実験で、胞子が発芽部位で人工膜表面に付着することが報告されています。その模式図を図8に示しました。 しかし、イネ葉身の表面構造は人工膜とはきわめて異なっています。そこで、胞子の葉身への付着過程を蛍光顕微鏡と走査電子顕微鏡で観察しました。その結果、葉身の表皮には凹凸があり、さらにその表面には高さ2-3μmのいぼ状突起が散在しています(図9)。接種 1時間後にイネ葉身上の水をわずかに移動させた時、同じ場所を蛍光顕微鏡で撮影したものが図10です。発芽胞子が動いているのが分かります。このように、発芽直後(接種 1時間後)では発芽管が短く、発芽管の先端が表皮に達することができず、胞子の多くが表皮上を浮遊していました。接種1.5時間後以降になると、胞子の周りの水が左右に動くと、図11のようにイネ表皮と発芽管の先端部の接着部位を中心に胞子と発芽管が左右に動くのが蛍光顕微鏡下で観察されました。

図8 いもち病菌が人工膜に付着する過程の模式図

人工膜表面上での実験では、胞子は発芽時の粘質物での人工膜表面に付着すると説明されています。

図9 イネ葉身の断面の走査電子顕微鏡写真

葉身の表皮には凹凸があり、さらにその表面細胞(EC)の表面には高さ2-3μmのいぼ状突起が散在しています。

図10 いもち病菌を接種して1時間後のイネ葉身表面の蛍光顕微鏡写真

イネ葉身上の水をわずかに移動させる前(左の写真)と後(右の写真)で、発芽胞子(Sp)が動いているのは分かります。GTは蛍光色素に染まっている発芽管です。

図11 いもち病菌を接種して2.5時間後のイネ葉身表面の蛍光顕微鏡写真

この時間になると、胞子の周りの水が左右に動くと、右の模式図のようにイネ表皮と発芽管の先端部の接着部位を中心に胞子と発芽管が左右に動くのが観察されます。

この時の胞子を走査電子顕微鏡で観察すると、図8の人工膜面での付着とは異なって、3μm以上に伸展した発芽管の先端部が表皮に到着してクチクラ層に付着していました(図12-14)。発芽管の先端部とイネ表皮の間には粘質物が認められる場合(図12)が希にありましたが、多くの場合は電顕固定の過程で消失して認められませんでした(図13,14)。図15に、胞子のイネ葉身表皮への付着過程を模式的に示しました。その後、発芽管は粘質物を分泌して、イネ表皮にしっかりと付着していく様子が観察されます(図16)。

図12 いもち病菌を接種して1.5時間後のイネ葉身表面の走査電顕写真

いもち病菌の発芽管の先端がイネ表皮と付着している部位には粘質物(矢印)が観察されます。

図13 いもち病菌を接種して2.0時間後のイネ葉身表面の走査電顕写真

発芽管先端とイネ表面のワックスとが密着している様子が見られます。GT:発芽管、Sp:胞子、WP:いぼ状突起

図14 いもち病菌を接種して2.0時間後のイネ葉身表面の走査電顕写真

人工膜状では胞子の発芽孔(発芽管が出てくる部位)で膜表面と付着する(図8)が、葉身上では人工膜の場合とは異なり、発芽管の先端がイネ表皮と付着しています。
注)この資料ではエタノール脱水過程を経ていますので、ワックスが溶解して消失しています。

図15 いもち病菌の胞子がイネ葉身上に付着する過程の模式図

図16 いもち病菌を接種して2.5時間後のイネ葉身表面の走査電顕写真

いもち病菌は発芽管の先端でイネ葉身に付着した後も、粘質物(黒い矢印)を分泌して、イネ表皮にしっかりと付着して伸展します。白い矢印は、イネ表面を覆っているワックスがいもち病菌によって溶解されたと思われる部位です。

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