水稲研究最前線

顕微鏡で見るイネいもち病の感染と防御機構

石川県立大学
古賀博則先生

2.いもち病菌はイネ体内への侵入基地として付着器を形成する

いもち病菌は発芽管の先端をイネ体表面にしっかりと付着しますと、針路を大きく変換して、表皮と平行かやや上方向に転じ、その先端に半円球状に膨らんだ付着器を形成します(図2-1)。付着器は、いもち病菌がイネ体表面のほとんどどこからでもイネ体内に侵入できるための基地の役割を果たしています。植物病原細菌は傷口や気孔や水孔など自然開口部からしか侵入できません。それに対し、いもち病菌が傷口など特定の部位に限定せずに、イネ体表面のほとんどどこからも侵入できるのは、この付着器の驚異的な威力にあると考えられています。

図2-1 いもち病菌の付着器形成

空気中を飛散してイネ葉身上に落下した胞子(Sp)は発芽管(GT)を伸ばし、その先端に半球状の付着器(Ap)を形成する。付着器の周りのワックスが溶けているのが認められる(矢印)。図中のバーは10μm(0.01mm)を示す。

付着器を電子顕微鏡で観察しますと、付着器と発芽管との間にはしっかりとした隔壁が存在し、発芽管と付着器の両細胞間の仕切りをしています(図2-2)。付着器の周りには粘質物が出され、イネ体表面にしっかりとくっついています(図2-2)。葉身では付着器の周りのワックスが溶けていますが、これは付着器からワックスを溶かす物質が分泌されているものと考えられます(図2-1)。籾や穂首などの穂組織の表面にはワックスが存在しませんが、付着器は葉身の場合とほぼ同じ形をしております(図2-3)。付着器は籾や葉舌の毛茸表面にも形成されます。付着器は周りに障害物がないと綺麗な半球状(図2-2)となりますが、周りに突起などがあるとそれを避けるために、へこんだ形となります(図2-3)。

図2-2 発芽管と付着器の断面の電顕写真

発芽管(GT)と付着器(Ap)の間は隔壁(SEP)で仕切られており、付着器は粘質物(Mu)でしっかりとイネ体表面に固着しているのが認められる。

図2-3 イネ穂首表面でのいもち病菌の付着器形成

葉身(図2-1)と同様に穂首表面でも、胞子(Sp)は発芽管(GT)を伸ばし、その先端に半球状の付着器(Ap)を形成する。葉身と異なって穂ではワックスがないが、付着器の形態に相違は認められない。ST:気孔

付着器の色はできたばかりの時には無色です(図2-4左)が、成熟するにしたがって黒褐色となっていきます(図2-4右)。これは、いもち病菌の付着器内に黒い色素のメラニン層が形成されるためです。メラニンはヒトの皮膚でも黒い色素として形成されますが、ヒトで形成されるものと、いもち病菌の付着器で形成されるものとは、化学構造が異なっており、まったく別のものです。実はこのメラニンがいもち病菌の侵入に極めて重要な役割を果たしていることが明らかになってきました。付着器の断面を透過電子顕微鏡で観察しますと、付着器は単一の細胞からなっており、細胞内には一つの核、細胞質には多くのミトコンドリアが見られます。そして、細胞壁と原形質膜の間に黒い(電子密度の高い)厚い層が見られます(図2-6)。これがメラニン層です。

メラニン層が形成されないと、いもち病菌はイネ体表面から体内に侵入できなくなります。このことは、無処理ではいもち病菌の付着器は黒褐色になる(図2-5左)のに対し、メラニン合成を阻害する物質を吸収させますと、付着器が無色のままでいつまでも黒褐色になりません(図2-5右)。

図2-4 付着器は成熟すると着色する

左図: 胞子(Sp)を接種して4時間後に、発芽管(GT)先端に形成された未成熟の付着器(Ap)の光顕写真。未成熟の付着器は無色である。
右図: 接種22時間後の成熟付着器の光顕写真。付着器が黒褐色となっている。

図2-5 メラニン合成阻害剤は付着器の着色を阻害する

左図: メラニン合成阻害剤を処理していない付着器(Ap)の光顕写真(接種24時間後)。付着器(Ap)は黒褐色になっている。GT:発芽管、Sp:胞子
右図: メラニン合成阻害剤を処理した付着器の光顕写真(接種24時間後)
付着器は黒褐色になることなく無色である。

図2-6 表皮細胞に侵入菌糸を伸展させている付着器の断面の電顕写真

付着器(Ap)内には1個の核(N)と多数のミトコンドリア(M)などが、細胞膜(FPM)と細胞壁(FCW)との間には黒い(電子密度の高い)メラニン層(ML)が認められる。EC:イネの表皮細胞、HCW:イネの細胞壁、Mu:粘質物、Nu:仁、O:pore wall overlay

その後、付着器からのイネ体内への侵入を光学顕微鏡で見てみますと、メラニンで黒褐色となった付着器からは、侵入菌糸がイネの細胞内に伸展しています(図2-7)。それに対し、メラニン合成を阻害した方では、付着器はいつまでも無色で侵入菌糸は認められません(図2-8)。

図2-7 メラニン合成阻害剤を処理していない区での、いもち病菌の伸展の光顕写真(接種48時間後)

成熟付着器(Ap)から表皮細胞内に侵入菌糸(IH)を伸展させている。GT:発芽管、Sp:胞子

図2-8 メラニン合成阻害剤を処理した区での、いもち病菌の侵入阻害の光顕写真(接種48時間後)

付着器は黒褐色になることなく無色のままで、侵入菌糸も認められない。

このメラニン合成を阻害した付着器の断面を電子顕微鏡で観察しますと、図2-9のように付着器内に多数のミトコンドリアが認められるなど無処理の電顕像(図2-6)と類似しておりますが、メラニン層が全く形成されていません。また、イネ体への侵入もまったく認められませんでした(図2-9)。図2-10にメラニン層の部分だけを拡大して、無処理(図2-10左)とメラニン合成阻害したもの(図2-10右)とを示しました。メラニン合成阻害によって、メラニン層が形成されていないことが明瞭にわかります。

図2-9 メラニン合成阻害剤を処理した付着器の電顕写真(接種48時間後)

付着器(Ap)の細胞膜(FPM)、細胞壁(FCW)、ミトコンドリア(M)などは観察されるが、メラニン層は認められない。また、表皮細胞内への侵入も認められない。EC:イネの表皮細胞、HCW:イネの細胞壁

図2-10 メラニン合成阻害剤処理区と無処理区での付着器内のメラニン層形成の差異

左図: メラニン合成阻害剤の無処理区(接種48時間後)。付着器(Ap)の細胞膜(FPM)と細胞壁(FCW)との間に黒い(高電子密度の)メラニン層(ML)が形成されている。
右図: メラニン合成阻害剤の処理区(接種48時間後)。メラニン層の形成は阻害されている。

これと同様なことは、メラニン合成できない突然変異菌株を用いた実験でも証明されております。すなわち、突然変異菌株は付着器を形成しますが、黒褐色とならなくて、イネ体内へ侵入できません。

どうしてメラニン層が形成されていないと、いもち病菌はイネ体内に侵入できないのでしょうか?付着器からイネ体内に侵入するためには、侵入糸(付着器からイネ体に侵入するために出される極めて細い菌糸、図2-11のPP)をイネの細胞壁内に押し出す物理的な力と、細胞壁のセルロースなどを酵素的に分解する化学的な力が必要です。メラニン層は侵入糸を物理的に押し出すのに必要不可欠なものです。侵入糸をイネ体に押し出す物理的な力は、付着器内の細胞壁内部から細胞膜が押し出す力で膨圧と呼ばれているものです。この膨圧は、気孔の開閉をはじめオジギソウや食虫植物などの運動の原動力となっています。いもち病菌の付着器は成熟するにつれて膨圧を高め、少なくとも80kg/cm2という強い圧力でもって、イネ体内に侵入糸を押し出していることが明らかとなっています。この圧力は、大気圧下で生物が出す圧力としては、最大のものであることが知られております。

イネ表皮と接する付着器の底部には、細胞壁が周縁部から中央に向かって肥厚し、その真ん中が貫通される構造物(pore wall overlay)が観察されます(図2-11)。しかし、メラニン合成を阻害したいもち病菌の付着器には、この構造物は認められません(図2-9)。このことから、付着器細胞が侵入部位にもっとも効率よく圧力をかけるために、このようなこの構造物を形成するのではないかと思われます。

図2-11 表皮細胞に侵入菌糸を伸展させている付着器断面の電顕写真

付着器底部には細胞壁が円盤状に肥厚した構造物(p ore wall overlay)が認められる。Cu:クチクラ層、EC:イネ表皮細胞、HCW:イネ細胞壁、IH:侵入菌糸、ML:メラニン層、N:核、No:仁、Pa:パピラ、PP、侵入糸

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