プロフィール
三平 雄一さん鍼灸師・柔道整復師として働く中、2017年の年末頃から原因不明の発熱症状を繰り返すようになり、2018年にCAEBVと診断された。2019年4月に骨髄バンクを通じて同種造血幹細胞(骨髄)移植を受けた。移植後のGVHD(移植片対宿主病)や退院後の体力低下を経験しながらも、2020年に社会復帰し、在宅医療で緩和ケアにも携わるほか、自身の経験を次の患者さんに伝える活動を続けている。
鍼灸師・柔道整復師として働く中、2017年の年末頃から原因不明の発熱症状を繰り返すようになり、2018年にCAEBVと診断された。2019年4月に骨髄バンクを通じて同種造血幹細胞(骨髄)移植を受けた。移植後のGVHD(移植片対宿主病)や退院後の体力低下を経験しながらも、2020年に社会復帰し、在宅医療で緩和ケアにも携わるほか、自身の経験を次の患者さんに伝える活動を続けている。
私はもともと、鍼灸師や柔道整復師として、医療現場やスポーツ現場で働いていました。大きな病気やけがの経験はなく、風邪もほとんどひかないようなタイプでした。そんな私が、33歳のときに慢性活動性EBウイルス病(CAEBV)を発症しました。
最初に症状が出たのは2017年の年末で、風邪のような症状でした。ちょうど仕事で出張に出かけるなど忙しいタイミングだったので、「普段慣れない環境で風邪でもひいたのかな」と思っていました。
はじめは2~3日で症状が落ち着いたのですが、その後も発熱やだるさを繰り返すようになり、徐々に症状が悪化していきました。さすがにおかしいと思い、仕事を休んで近くのクリニックを受診しましたが、日中は熱が下がっていることが多く、「様子を見ましょう」と言われるばかりでした。今では、少し体調がすぐれないだけでも仕事を休むことが一般的ですが、当時は多少体調が悪くても、無理をして働いていました。
3か月ほど経った頃には、1週間のうち3日ほどは40度を超える発熱があり、少し下がってはまた上がる、という状態を繰り返すようになりました。夜になると悪寒が強くなり、布団をかぶって震えながら眠る日もありました。一人暮らしだったので、「このまま誰にも見つからずに死んでしまうのではないか」と怖くなったこともあります。
また、その頃には、さすがに仕事を続けることも難しくなり、休みがちになっていました。当時は一気に痩せ細ったため、勤務先に来られる患者さんから心配の声をかけられることもありました。具合が悪くて来局される患者さんにまで心配をかけてしまったことで、「もうこの仕事を続けてはいけないのかもしれない」と感じたのを覚えています。
大学病院に検査入院をしてさまざまな検査を受けましたが、原因の特定には至りませんでした。自分でも不明熱について調べるようになり、不安ばかりが高まっていきました。
また、診察では薬物使用や性的な指向など、デリケートな内容の問診を受けることもありました。もちろん必要な確認だったと理解しています。ただ、当時は精神的にも余裕がなく、かなりつらく感じる場面もありました。
検査を重ねていくうちに、EBウイルスの数値異常が見つかり、CAEBVの専門外来がある大学病院を紹介されました。それまでCAEBVという病気は知りませんでしたし、調べてみても、本当に希少な疾患なので、「まさか」と思いました。
CAEBVと診断を受けたときは不思議なくらい落ち着いていたのを覚えています。まず思ったのは「人にうつすような病気でなくてよかった」ということ。当時は感染症を疑われることも多く、自分でも「誰かにうつす病気なのでは」と怖くなっていたからです。不安から解放されたことに安堵していましたが、今考えると現実として受け止められていなかったのかもしれません。
治療については、先生から「造血幹細胞移植しかない」と説明を受けました。最初は正直、「え?自分が移植?」とよくわからないような気持ちでした。すぐに姉がHLA型の適合検査をしてくれましたが結果は適合せず、骨髄バンクでもなかなかドナーが見つかりませんでした。「移植しかない」と言われても、「でもドナーがいないじゃないか」と途方に暮れたのを覚えています。
診断から2か月くらい経った頃、骨髄バンクを通じてドナー候補が1名だけ見つかりました。その方が提供をしてくださると知ったとき、胸が熱くなりました。本当に奇跡のような確率だったと思います。周囲からの後押しもあり、「この道を進むしかない」と自然に思うようになりました。
移植について、先生から私への説明には治療のシビアな側面や、思うような結果が出なかった場合の対応などについても含まれていました。その反面、前処置中の副作用やGVHD(移植片対宿主病)が起こったときのセルフケアなどについても詳しく聞くことができ、専門的な病院で、熱意を持った医師・看護師が集まる環境で治療に臨むことができ、私にはこの対応が合っていたと思っています。
また、移植前には、薬剤の医師主導治験にも参加しました。担当の先生からCAEBVの歴史や、治療法が確立するまでに多くの患者さんがいたことを聞き、「自分も何か、この病気に貢献できることはないだろうか」と考えるようになったからです。CAEBVでは全身の炎症状態が強くなってしまうので、移植前にその活動性を抑えるという目的の臨床試験でした。私は一定の効果はあったと思っています。
2019年4月に同種造血幹細胞(骨髄)移植を受けました。前処置の間は粘膜障害に悩まされました。下痢が続いてお尻が荒れ、眠れずに便座に座ったまま夜を過ごしたこともあります。看護師さんなどから聞いて準備していた、ウェットタイプのお尻拭きや保湿剤に本当に助けられました。
移植自体はスムーズに終わりました。移植当日は、とにかくドナーさんへの感謝の気持ちでいっぱいでした。私はその方にお会いしたことはありませんが、本当にありがたく、「自分もいつかドナーさんのような人になりたい」と思っています。
GVHDは生着後に出始めたと記憶しています。私の場合は皮膚症状が強く、足から始まって、お腹のほうまで皮疹が広がりました。皮膚がただれたようになったり、水疱ができたりと、とてもつらかったです。生着したことは嬉しかったですが、この時期はとにかくきつかったという記憶しかありません。「このまま跡が残ったらどうしよう」と不安にもなりました。
下痢と皮膚症状は1年くらい続きました。ステロイドと免疫抑制剤の内服を続けていましたが、下痢はなかなかよくならず、皮膚症状は徐々にかゆみに変わりました。特に夜はかゆみが強く出るので、ぐっすり眠れない日が続きました。薬のせいか、気持ちが落ち着かないような感じもしていました。薬は徐々に減量でき、内服がなくなったとき、「やっと終わったな」と実感しました。
移植から約2か月後に退院しました。久しぶりに病院の外へ出たときの空の青さは、今でも忘れられません。無菌室を出て一般病棟に戻った頃から、退院への思いがどんどん強くなっていたので、やっと退院できて本当にうれしかったです。
ただ、退院してすぐに思ったのは、「思った以上に体が動かない」ということでした。体力には自信がありましたし、病院の中でもよく歩いていたので、もっと動けると思っていました。しかし実際には、家の近所を少し歩くだけで息切れをしてしまい、転んでもすぐに起き上がれないほど体力が落ちていました。お風呂で湯船から立ち上がれなくなったことがあります。体力の低下した自分が情けなく、「病院に戻りたい」とすら思いました。
早く退院して元の生活に戻りたいと思っていましたが、焦っても体はついてきませんでした。結局は、「大きな一歩」ではなく、「毎日着実に小さな変化を積み重ねていく」ことが大切だったのだと思います。
移植前後を通じて、支えになったのは、患者さん同士のつながりでした。
私はSNSで闘病記を発信していました。同じ時期に移植を受けた患者さんや、すでに移植を経験した患者さんとつながることができ、さまざまなアドバイスをたくさんいただきました。治療のことだけでなく、不安や弱音を共有できたことも大きかったです。病気になると、どうしても孤独になりがちですが、同じ経験をした患者さんと話し、「自分だけではない」と思える場所があったことは、大きな支えになりました。
また、患者会への参加や、院内での他の患者さんとの関わりも大きな支えになりました。病気を経験した患者さんやご家族の話を聞いたことで、大きな力を受け取ることができました。また、院内で移植を経験し、一緒に頑張っているお子さんの姿を見たときには、「こんなに小さい子がこんなに頑張っているのだから、自分も頑張らなければ」と勇気をもらいました。今も交流を続けている方も多く、まだ小さかったお子さんが小学校高学年になったなどの報告をもらうと、自分もとても嬉しくなります。
また、姉をはじめ家族にもとても感謝しています。病気が分かったとき、両親には心配をかけたくなく、一番に姉に相談しました。移植を決めたとき、背中を押してくれたのも姉でしたし、治療の途中で不安になったときも、姉の存在や言葉が大きな支えになりました。また、移植後は感染にも気をつけなければならないため、食事の準備や自宅の掃除など、家族にはたくさん助けてもらいました。
治療中は、経済的な不安もありました。私は33歳で病気になりましたが、正直なところ十分な貯蓄があったわけではありません。また、病気が分かった頃から休職し、移植が決まった頃には退職しました。高額療養費制度を利用していましたが、差額ベッド代などの負担もあり、決して余裕がある状況ではありませんでした。入院が長引く中で、どんどんお金が減っていくことはすごく怖かったです。
その中で助けられたのが、高額療養費制度や傷病手当金、失業保険などの制度です。こうした制度があったからこそ、治療に集中することができたと思います。
医療制度については、自分から調べなければ分からないことも多くありました。例えば、私の場合は、休職時から1年6か月間傷病手当金を受給し、その受給期間が終了した後に失業保険を申請しました。このように、状況に応じて利用できる制度があることは、一般的にあまり知られていないように感じます。病院にはソーシャルワーカーさんがいて、利用できる制度があるか相談することができますが、その存在自体を知らない患者さんも少なくありません。
実際にSNSなどで患者さんから医療制度について相談を受けることもありますが、まずは病院のソーシャルワーカーさんに「利用できる制度はありますか」と相談してみてほしいと思います。
また、移植後に必要となる予防接種の費用助成などは自治体によって異なります。私の住んでいる地域では助成がありませんでしたが、地域によっては補助を受けられる場合もあります。こうした情報も早めに確認しておくことが大切だと思います。
2020年には社会復帰しました。病気になる前は、患者さんが訴える「眠れない」「しびれる」「痛い」といった症状を、本当の意味では理解できていなかったと思います。しかし、自分自身が実際にそうした症状を経験したことで、患者さんがどれほどつらい思いをしているのかを考えられるようになりました。
現在は在宅医療で緩和ケアの領域に携わっており、医療の質を高めるため、日々患者さんに向き合っています。
今でも将来に対する不安がまったくないわけではありません。それでも、「今こうして生きているのだから、できることをやろう」と思っています。
加えて、CAEBVは患者数が少なく、医療者の間でも十分に認知されていない疾患であることから、同じEBウイルスが原因となる他の疾患と混同されてしまうことがあります。その例が一般に「キス病」とよばれる伝染性単核球症です。CAEBVと伝染性単核球症は病態や経過が全く異なる疾患ですが、CAEBVが「キス病」であるかのように誤解され、患者さんやそのご家族が傷ついてしまうことも少なくありません。そのため、正しい情報を知ってもらうことが大切だと感じ、メディアに出たり、SNSでの発信を続けたりと、自分にできることがないか探し続けています。
同じ病気の患者さんやご家族は、自分の経験を次の患者さんのために役立てたいと考えている方が多くいます。私自身も、自分の経験を伝えながら、同じ病気と向き合う患者さんやご家族の力になれるような活動を続けていきたいと思っています。